ハンドボール部だより:教駒・筑駒ハンドボール部の歴史について

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ハンドボール部OB会データ(20期岩田圭一さん作成)           2022年3月更新

 大内杯スコアシート
 大内杯データ
 大内杯データ2
 ハンドボール部の歴史

 

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「教駒・筑駒ハンドボール部の歴史について」    2018年9月30日 創部50周年記念祝賀会

 

創部50周年記念祝賀会実行委員長の20期の岩田です。

我が「教駒・筑駒ハンドボール部」もこの秋創部50年を迎え、本日この多くの皆様のご出席の下、記念祝賀会を開催する運びとなりました。
まずは、開催の準備をしてくださった幹事長の27期用丸さんをはじめとする幹事団の皆様並びに顧問の鈴木先生に深く感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。
野球やサッカーのようなメジャースポーツでもないハンドボールを、部員のいない期や少ない期もありますが、50年もの間継続して途切れることなく部活動としてやってこられたことを(バレー部のように関東大会に出場したことがありながら継続できなかった部もあります)、係ってこられた部員、OB、顧問の先生方などの関係者の皆様に深く感謝したいと思います。

次に今までにお亡くなりになられた方、(20期)中山裕樹さん、岸井大太郎さん、(27期)高市康博さん、(30期)鈴木啓さん、(他におられたらごめんなさい)にこの場をお借りして深い哀悼の意を表したいと思います。特に中山さんは、後で出てきます大内杯、教駒クラブ設立の功労者であり、彼なくして今のOBの活動はありません。なお、鈴木さんは在校中にお亡くなりになっております。

では、創部50周年にあたり、私の手元にある記録と記憶から、教駒・筑駒ハンドボール部の歴史について少々語らせていただきます。

まず、創部ですが、高校のハンドボール部は、1968年に当時高校に上がったばかりの19期10名ほどで同好会として創設され、その年の秋に部に昇格しており、今年(2018年)創部50周年を迎え、本日の祝賀会に至っております。中学は、遅れること2年、22期生が、やはり同好会として創設(1970年)し、部に昇格(1972年・24期生)(なお、前年度は生徒会で否決)して、現在に至っています。創設した19期の皆さんによれば、運動部の持っている封建的な古い体質の改善や自発性を尊重した民主的なクラブを作りたいという思いがあったようです。そして、大内勝夫先生に顧問をお願いしたところ、「関東大会を目指すくらいのつもりでやるのでなければ引き受けられない。」と言われて、甘い考えを正されたと聞いています。
我々20期は中学3年の秋、部昇格とともに入部し、人数も多く結構強かった(東京都ベスト16)のですが、21期、22期は人数が少なく存続の危機になりました(22期の高橋君、大津君が21期より先に入部し繋いでくれました)。幸い23期が一学年でチームを組める人数となり、また、近藤史彦君はOBになってからコーチを務めてくれ、これ以降若いOBがコーチを務める伝統もでき、部の基盤も整いました。
残念なことに40期、46期、56期と3年ほど部員のいない期や人数の少ない期もありますが、50年も継続して今に至っており、現在では一番人気のスポーツクラブだそうです。
古いOBの時代は、本校全体として高校2年生の秋の新人戦で引退というのが普通だったのですが、はっきりとはわかりませんが、42期ぐらいから高校3年生の夏の全国予選まで現役を続けるようになって今に至っています。もっとも、それまでも20期、33期、34期等、いくつかの期で全員あるいは一部の人が3年生まで続けています。
戦績としては、東京都ベスト8が最高で、27期(新人戦)、30期(新人戦)、41・42期(新人戦、全国予選)、44期(新人戦)の5回、ベスト16は20期(新人戦)、33・34期(全国予選)、34・35期(関東予選)、41・42期(関東予選)、42期(新人戦)、58期(新人戦)の6回、ベスト24は20期(関東予選)、33・34期(関東予選)の2回あります。最近の現役は、大内杯で見ていますと、昔よりもずっと強いと思うのですが、他校のレベルが上がっているのか戦績は上がりません(ベスト32:63期(新人戦、関東予選)、65期(全国予選))。いつの日か夢の関東大会、インターハイの出場を期待しております。また、30期の瀬川君は東京都選抜に選出され、国際試合の前座として東京都高校生東西対抗戦に先発出場しています。
中学の戦績としては、東京都ベスト4の34期(正確には区部ベスト4)、ベスト8の55期(春)、70期(秋)(春・区部)(夏)、ベスト16の53期(夏)、58期(秋)、61期(夏)、66期(秋)、世田谷区優勝の48期があります。
また、変わったエピソードとしては、文化祭で19期と20期が「嗚呼 !! 涙のハンドボール」という部誌を発行、23期は「ワイルド7」というフォトストーリーを上映、26期は招待試合で日本体育大学女子と対戦といった話が伝わっています。
主顧問の先生は、初代大内勝夫先生が1974年に天理大学に転出された後、小澤正晴先生、坂根義久先生が引き継がれ、1980年から1994年まではOB(20期)の佐藤和孝先生が、1995年以降は鈴木清夫先生が面倒をみてくださっています。

次にOBの活動ですが、現在きちんとした組織のOB会はなく、会長もいなければ、会費も会則もありませんが、20期が1972年の卒業時に創設以降、卒業後間もない若い期が幹事となって、年に2回、春と秋に「大内杯」という名称のOB戦を行っています。大内杯は、OBのハンドボールを忘れないためということを含めた親睦と現役の強化を目的に創設されたものですが、実は体育館でプレーしたいという願望が強くあり、そのために卒業生というパワーを使えば勝ち取れるという打算もあって、19期の卒業式の日に、式の後、卒業記念試合を体育館で行ったことが前身です。そんなわけで、最初のうちは全て体育館で実施していたのですが、残念なことに、体育館が傷むからとの某先生からの強いご指摘により1980年の第15回大会からグランドで実施、雨天時のみ体育館ということになっています。大内杯のカップについては、創設時に大内先生から寄付していただいておりましたが、第23回大会時に創部15周年を記念して新調し、今に至っております。さて、この大内杯も本日(2018年秋)で丸47年、90回を数え(1974年、1975年、1986年、1992年は 1回/年 開催)、OBの延べ出席者数は2,000名を超えています。このままいきますと、5年後には100回大会となります。大内杯の記録については、後程もう少し詳しく述べさせていただきます。
また、1973年に教駒クラブというOBクラブチームを立ち上げ、翌1974年から1993年頃まで約20年間東京都クラブリーグに参戦(最高で2部、最後は4部)していました。今はOBクラブではなく地域クラブとして受け継がれているようです。
本日創部50周年記念祝賀会を開催しておりますが、過去にも周年記念は行われておりまして、1978年秋に24期を幹事に創部10周年記念祝賀会開催(渋谷・一番別館)(第12回大内杯大会後)、10周年記念誌(編集代表:山本尚彦さん)発行、1984年春に30期を幹事に創部15周年記念祝賀会開催(新宿・MY CITY)(第23回大内杯大会後)、1988年秋に35期を幹事に創部20周年記念祝賀会開催(渋谷・東武ホテル)(第31回大内杯大会後)、また、創部35年にあたる2003年秋には51期を幹事に60回記念大会と祝賀会(駒場エミナース)(19期~54期、44名出席)が行われました。

それでは、大内杯の記録について、述べさせていただきます。
本データは、2009年4月時点に私(岩田)の手元にあるOB会報(たぶん発行された全て)と幹事の手元にあったノート(第24回~第39回、第40回~第51回、第56回~)で70回までを、それ以降は大会ごとに幹事のノートから集計したものになっています。なお、本日が90回大会になっていますが、このうち3回は中止で実質87回、記録としては前回大会までの集計ですので86回分になります。通算得点記録は、第19回大会(1982年春)のOB会報に全員の記載があり(最初)、これをベースにしています。最初に通算得点記録を集計したのは1979年頃と思われますが(誰かは不明)、この時既に第1回、第2回大会の個人記録は失われており加算されていません。従って、23期以前の方はその分少なくなっています。また、20期以前は現役の時に大内杯が創設されていませんでしたので、その分のハンディもあります。また、一部記録がなく推定になっている部分があります。
まずチーム編成ですが、初年度の1972年の第1回、第2回大会は現役、19期、20期の3チームのリーグ戦、翌1973年春の第3回大会は21・22期チームが加わって4チームのトーナメント戦、そしてなんとその年の秋の第4回大会は中3、中学現役を加えた6チームによるトーナメント戦が行われています。この時は試合開始時に中学生全員で7mスローを投げて入った分の得点がつくというハンディをつけていましたが、組み合わせにも恵まれた25期の中3チームが決勝進出を果たし準優勝しています。以降は、中学生チームを作ることはなく、いくつかの期の合同チーム、1988年秋の31回大会から古い期の順に長老、中堅、若手という形で3チームを作り、トーナメント戦を行うのが標準となりましたが(たまに人数が少ないと3チームによるリーグ戦)、参加者が少なくなってきた1998年秋の第50回大会から3チームのリーグ戦が標準になり、最近はOBの参加がさらに減ってオールOBで現役と2、3試合を行う形になっています。
チームの試合記録が残っている82回中、現役が優勝したのは14回とOB優位で、年長のチーム(年長といっても大学卒業間もない年代が主力のことが多いようですが)の優勝が24回、若手18回、中堅16回、オールOB等その他が10回となっています。
次に個人記録ですが、まずOB通算出場回数(高校3年生以上をカウントしています)(記録があるのは81回分)は1位が20期の佐藤さんの62回、2位は同じく20期の私(岩田)の61回、3位は26期の斎藤圭介さんの40回です。
通算得点は、1位が26期の斎藤圭介さんの440点、2位は33期の浜野さんの330点、3位が26期の斎藤健さんの300点でここまでが300点以上、200点以上は5人で、これに30期の瀬川さん、36期の成田さん、150点以上は11人で35期の福原さん、32期の長田さん、55期の滝口さん、58期の高田さん、41期の山中さん、20期の私(岩田さん)となり、100点以上になるとこれまで23人の方が達成しており、記念のメダルが授与されています。
個人賞としては第3回から得点王と最優秀選手賞が、第6回からベスト7が制定されており、記録の見つからない大会もありますが、得点王は26期の斎藤健さんの9回、26期の斎藤圭介さんと33期の浜野さんの8回、55期の滝口さんの6回、最優秀選手賞は26期の33期の浜野さんの11回、斎藤圭介さんの8回、26期の斎藤健さんの5回、ベスト7は26期の斎藤圭介さんの30回、33期の浜野さんの20回、30期瀬川さんの19回、26期の斎藤健さんと36期成田さんの18回といったところです。ゴールキーパーでみてみますと、ベスト7で58期大畑さんの8回、26期杉本さん、33期中野さん、38期大塚さん、48期鎌倉さんの6回、得点では58期大畑さんの7点、25期田中さんの6点、38期大塚さんの4点といったところです。
最年長得点記録ですが、第3回の大内先生の37歳での記録をスタートとしていますが、ご自身で16回大会に44歳で更新された後、今年の春までに全部で23回更新され、現在は20期の私(岩田)の64歳2ヶ月となっています。ちなみに岩田さんは23回中18回更新しています。これに続くのが20期佐藤さんの56歳10ヶ月で4回の更新、他の方の更新履歴はありません。45歳以上のシニアの得点としては、60歳以上は20期の私(岩田)だけで7点、50歳以上は先ほどの20期佐藤さんの1点、26期の斎藤圭介さんの55歳1ヶ月他15点、33期の浜野さんの51歳0ヶ月他13点、45歳以上で36期の成田さんの45歳6ヶ月他5点、38期森田さんの45歳での1点があります。
期別でみますと、延べ参加人数で100人を超えているのが、20期の197人、48期の129人、26期の120人、23期の105人の4つの期となっています。通算得点は、1位が26期で862点、2位が48期で620点、3位が55期で473点、4位が20期で465点、5位が33期で463点、450点以上はここまでです。
大内杯も最近はOBの参加人数が減ってきております。通算記録は積み重ねですし、シニアの記録は継続です。若い方たちも、年のいってしまった方たちも、健康に留意して、是非大内杯に参加され、これらの記録を塗り替えていかれることを願ってやみません。

長くなりましたが、このあたりで終わりとしたいと思います。

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